現在のマーケットを理解する上でカギになる「後手に回る」という概念
前回の記事、「レイバー・デー明けの米国株式市場を占う」の中で「12月まで利上げを先送りしている間に、連邦準備制度理事会(FRB)が後手に回るリスクがあるのです」という表現を使いました。
それに対して「後手に回るという表現がわかりにくい」と感じる読者が多かったようです。また「実際にそうなると、具体的にどんな不都合が起きるの?」という素朴な疑問を抱いた方も居ました。
これは現在のマーケットで起きていることを理解する上でとっても重要な概念ですので、今回はそのことについて書きます。
「後手に回る」の意味
まず英語では「後手に回る」をbehind the curveと表現します。その意味するところは「時流について行けていない」ということです。
ついでに言えばその逆はahead of the curveであり「時代を先取りする」とか「一手先を行く」という意味になります。
マーケットは、これから起こると思われることを先取りする習性があります。言い換えれば好材料や悪材料を次々に相場に織り込んでゆくわけです。
このようにマーケットが常にその時に知りうる全ての材料を価格に反映しているという考え方を、効率的市場仮説(efficient-market hypothesis)と言います。
本当に、その仮説が正しいかどうなのか? は、今日のテーマではありません。
ただ、皆さんに理解して欲しいことは、マーケットでは、市場参加者が競争しながら、どんどん先を読もうとしているということです。その先を争うような競争が、時としてハチャメチャな状態を招来するケースがあるのです。
馬車が馬より前に出てしまう
いま西部劇に出てくるような馬車をイメージしてください。普段は馬が馬車をひっぱっているわけですが、急な坂道を下っている時、制御が効かなくなって、馬よりも馬車の方が前に出てしまったとします。これは事故のもとですよね?
ここで馬に相当するのがFRBです。馬車に相当するのが債券市場や株式市場です。
つまりFRBが次に何かを打ち出す前に、勝手にマーケットが前方に出てしまって独り歩きしはじめる状態は、とても危ないのです。
FRBは限られた「持ち駒」で市場をリードしている
FRBが援用できる政策ツールには限界があります。基本、FRBは短期金利の上げ下げによってその時の経済の温度に適した金利環境を保ちます。
「限界がある」ということの意味は、金利にはオーバーナイト(=1日)の短期金利もあれば、30年債のような長期金利もある……そのうち伝統的にFRBが司っているのは短期金利の調整だけだということです。
FRBが普段使っている、金利政策の伝統的なツールは、フェデラルファンズ・レートと呼ばれるものです。
フェデラルファンズ・レートとは?
アメリカの商業銀行が個人から預金を預かった場合、その一部を「準備金」としてFRBに預けることを義務付けられています。それは札束をFRBに持ち込んでも良いですし、電信振替でも良いです。
ここで銀行がFRBに預ける準備金の金額は、銀行の貸借対照表のうちの資産(=それは貸付額と言い換えても良いですが)のパーセンテージで決まります。
いま銀行は、日々の業務の中で法人への融資や住宅ローンを通じて貸付けしていますので、その金額は毎日変動します。するとFRBに預けられる準備金も変動するわけです。
FRBに預けることを義務付けられている金額を、ちゃんとFRBに送金してしまえば、それでもまだ手元に残っている現金をどう使うか? は、各銀行の勝手な判断になるわけです。その現金を、資金が不足しているライバル銀行に、一晩だけ貸付けるということも行われます。
この、銀行同士での、ごく短期のお金の貸し借りを「インターバンク市場」と呼びます。そこでの貸借のレートが、フェデラルファンズ・レートなのです。
このごく短期のお金の融通の市場は、毎日変動しているわけですが、大体、600億ドル以上にもなります。いまFRBのデスクが市中銀行から証券を買えば、その引き換えに現金が市中銀行に入るので市中銀行の手許現金が増え、その分、だぶついた現金を銀行間で貸借する際の金利、つまりフェデラルファンズ・レートは下がります。
逆にFRBが市中銀行に対して証券を売れば、市中銀行は買った証券の代金として現金をFRBに支払わなければいけませんので、キャッシュが吸い上げられるわけです。すると市中銀行の手元に残る現金は減り、現金がひっ迫するのでフェデラルファンズ・レートは上昇します。
つまりフェデラルファンズ・レートはあくまでも「銀行対銀行」の貸し借りの際のレートだということです。
ディスカウント・レートとは?
これにたいし、FRBが直接、ある銀行にお金を貸すケースもあります。これがディスカウント・ウインドウと呼ばれるものです。
普段は銀行同士がお金を貸し借りしているわけだけど、何かの理由で銀行同士が相互不信に陥り「あなたには、貸したくない」と言ったとします。するとお金の融通を拒否された銀行はFRBに泣きつくというわけです。
FRBは銀行が持ち込む担保の価値から、ある程度、割り引いた額(=「ディスカウント」という言葉は、ここから来ています)をリクエストのあった銀行に貸付けます。
普通、FRBからお金を寸借するのは「かっこわるい」ことだと考えられます。そしてFRBも「FRBにお金を借りに来るのは、緊急の時だけにしてください」という意味を込めて、フェデラルファンズ・レートより1%高い金利、つまりペナルティ金利を課すわけです。このディスカウント・ウインドウでお金を借りている金額は毎日2億ドル程度で、これは上でみたインターバンク市場に比べると、スズメの涙くらいの大きさです。
もちろんリーマン・ショックの時のような金融危機の局面では、FRBは「最後の貸し手」として助けを求めてきた金融機関にどんどん融資します。
ディスカウント・ウインドウでの借入(10億ドル、セントルイスFRBのデータを元にコンテクスチュアル・インベストメンツが作成)
しかし上のグラフからもわかるようにFRBは「最後の貸し手」ではあるけれど、「普段の貸し手」では無いのです。
非伝統的なツールとしての量的緩和政策
先ほどフェデラルファンズ・レートこそが伝統的なツールだと述べましたが、リーマン・ショック以降、FRB、欧州中央銀行(ECB)、日銀などによって援用されてきた、変則的なツールに量的緩和(QE)政策というものがあります。
これは中央銀行が長期債や住宅抵当証券などを直接買い入れることを指します。普段はそういうことを余りやらないので、「非伝統的な」政策と言われます。
しかし量的緩和政策が、ずっと継続されてきたことから、我々市場参加者はその変則的な状態に慣れっこになってしまい、あたかもこれが普通の状態であるかのような錯覚に陥っています。さらに言えば、(中央銀行は万能だ)という誤った安心感を植え付けています。
もちろん、それをずっと続けてはいけないという根拠は無いわけですが、最近では(どうせ中央銀行が債券市場を支えてくれるから、モメンタムに任せてどんどん長期債を買い上がれば良い)式の、横着な考え方をする市場参加者が、とても増えています。
つまり本来、短期金利の上げ下げだけでその時の経済の温度に合わせた理想の金利環境を作って行くはずのFRBが変則的な量的緩和政策を常態化させることで市場関係者のモラル・ハザード(節度の無い利益の追求)を放任する結果を招きかねないのです。
債券バブル?
そこで懸念されることは(最近の相場は、ひょっとすると債券バブルなのでは?)ということです。
もちろん長期デフレの環境が続く限り、マイナス金利であろうと債券を買い続けることは正当化できます。
しかしもし長期デフレという大前提が崩れたなら……
債券市場の参加者は、FRBが利上げする、しないにかかわらず、勝手にパニックに陥り、市場が混乱することも無いとは言い切れないのです。
そう考えてくると最近のようにFRBのメンバーが「利上げは慎重に考えます」と言っているにもかかわらず長期債が売られているという状況は、下り坂で勢いがつきすぎた馬車がコントロールを失うような危なっかしい状態の片鱗が見え始めていると言えるでしょう。
長期債が売られれば、株式市場も急落する心配があります。これがFRBが後手に回ることの引き起こす、具体的な困った状況というわけです。