米中対立の激化を受け、「台湾地政学リスク」と「中国ADRの上場廃止リスク」が再び警戒されています。今回は両リスクをめぐる動向を確認したうえ、今後の見通しを探ってみたいと思います。
図表1 主な言及銘柄
銘柄 | 株価(8/2) | 52週高値 | 52週安値 |
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アリババ ADR(BABA) | 92.62米ドル | 203.28米ドル | 73.28米ドル |
iシェアーズ 中国大型株 ETF(FXI) | 29.76米ドル | 42.70米ドル | 26.13米ドル |
iS MSCIチャイナ(02801) | 20.84香港ドル | 31.82香港ドル | 18.36香港ドル |
Tracker Fund香港(02800)) | 20.20香港ドル | 27.34香港ドル | 18.44香港ドル |
iS FTSE A50(02823) | 15.22香港ドル | 19.87香港ドル | 14.02香港ドル |
- ※BloombergデータをもとにSBI証券が作成
8/2、米国のナンシー・ペロシ下院議長が台湾を訪問する見通しだと報じられ、ハンセン指数は2.4%下落し、ハンセンテック指数は3.0%下落しました。一方、ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数は1.4%上昇しました。
8/2だけの動きをみると、香港市場の投資家の方がより「台湾地政学リスク」を警戒しているようです。ただし、それには「時差」も影響していると考えられます。ナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問報道はアジア市場に先に伝わり、香港市場の投資家はとっさの反応(まずはリスク回避)になりやすいからです。
なお、「台湾地政学リスク」をめぐり、最も警戒されているのは「台湾有事」だと思います。一部では米国のナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問が中国による台湾進攻の引き金になるのではないかと懸念されています。しかし、今のタイミングで中国がそうするメリットはないと考えられるため、その可能性は低いとみております。
米中対立や台湾問題に関する中国当局のこれまでの対応を確認してみると、中国当局はいずれも長期戦を覚悟しています。つまり、米国超えや台湾問題の解決は中国当局にとって中長期的な目標であり、短期(今年)の目標ではないです。特に今年秋に共産党大会を控えていることを考えると、中国当局が「ナンシー・ペロシ下院議長の挑発」に乗り、何らかの大きな行動を取る可能性は低いと考えられます。
一方、米国に対して弱腰姿勢を示すわけにはいかないため、中国はすぐ対抗措置を発表しました。中国外務省は断固として反対すると抗議し、中国商務部は8/3から台湾からの食品輸入を禁止すると発表し、中国人民解放軍は台湾周辺で8/4-8/7に軍事演習を実施すると発表しました。今後しばらくの間、中国が似たような対抗措置を取る可能性もあり、「台湾地政学リスク」は市場ボラティリティ(株価変動)を増大させるかもしれません。「台湾有事」の可能性は低いと想定されるものの、今後の動向には引き続き、注視していく必要がありそうです。
7/29に、米国証券取引委員会(SEC)がアリババを上場廃止リスクのある企業リスト(「上場廃止警告リスト」)に追加しました。それを受け、アリババ(BABA)は7/29に急落(11%下落)し、米国上場のADRで構成されるナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数も3.1%下落しました。アリババの件をきっかけに、中国ADRの上場廃止リスクが改めて警戒されました。
今回は、中国ADRの上場廃止リスクをめぐる主な出来事と米中交渉の状況を確認したうえ、今後の見通しを探ってみたいと思います。
中国ADRの上場廃止リスクをめぐる主な出来事
2020年12月に、米国で「外国企業説明責任法」が成立しました。同法は、米国上場の外国企業に監査情報の開示と中国政府・党の支配下にないことの証明を求めるもので、3年連続で応じない場合に該当企業の証券の取引を禁じます。同法は、明らかに中国企業を念頭に置いたものです。中国政府が国家安全保障上の懸念を理由に(米国への情報流出を警戒)、米当局による中国企業の会計監査へのアクセスを長年拒否してきたからです。
2021年12月に、米証券取引委員会(SEC)は「外国企業説明責任法」に基づき、上場規則を改定しました。それによると、外国企業が会計監査状況の監査を3年連続で拒否した場合、上場廃止になる可能性があります。その後、SECは規則を実行し、2022年に入ってから「上場廃止警告リスト」を公表するようになりました。
SECは2022年3月10日に「上場廃止警告リスト」第1弾を公表し、その後100社に上る中国企業をリストに追加しました。中国政府が米当局による中国企業の会計監査へのアクセスを拒否しているため、実質的には2021年通期の決算報告書を提出した中国企業が逐次「リスト入り」することになりました。
図表2 中国ADRの上場廃止リスクをめぐる主な出来事
年 | 日付 | 主な出来事 | 備考 |
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2020年 | 12月 | 米国で「外国企業説明責任法」が成立し、最終規則が公布された。同法は、米国上場の外国企業に監査情報の開示と中国政府・党の支配下にないことの証明を求めるもので、3年連続で応じない場合には該当企業の証券の取引を禁ずる。 なお、米下院の「米国競争法案」では、3年の猶予期間を2年に短縮する規定があり、成立した場合には2023年に上場廃止となる企業が出てくる可能性がある。 |
同法は、中国企業を念頭に置いたものである。中国政府が国家安全保障上の懸念を理由に(米国への情報流出を警戒)、米当局による中国企業の会計監査へのアクセスを長年拒否してきた。 中国当局が配車サービス中国最大手の滴滴出行の上場廃止に”こだわった”のは、同法が背景にあると考えられる。滴滴出行は地図情報や走行データなどの重要情報を保有しているため、中国当局はそれらの情報が米国へ流出することを警戒している。 |
2021年 | 12月2日 | 米証券取引委員会(SEC)は、「外国企業説明責任法」に基づき、上場規則を改定。外国企業が会計監査状況の監査を3年連続で拒否した場合、上場廃止になる可能性がある。 | その後SECは規則を実行し、2021年度決算の会計監査へのアクセスができないことを理由に、上場廃止リスクのある企業リスト(「上場廃止警告リスト」)を公表するようになった。 中国政府が米当局による中国企業の会計監査へのアクセスを拒否しているため、個別企業の対応に関係なく、米国上場の中国企業は2021年度決算報告書を提出してから一定期間が経つと、「リスト」入りすることになる。 |
2022年 | 3月10日 | SECは、上場廃止の可能性がある中国企業5社(ヤム・チャイナ(YUMC)やベイジーン(BGNE)など)の警告リストを公表。「上場廃止警告リスト」第1弾とも言われている。 | 最も先に2021年通期の決算報告書を提出した中国企業5社が「上場廃止警告リスト」第1弾に指定された。 |
3月23日 | SECは、微博(WB)を「上場廃止警告リスト」に追加したと公表。 | 2021年通期の決算報告書を提出した中国企業が逐次「リスト入り」となった。 | |
3月31日 | SECは、百度(BIDU)など中国企業5社を「上場廃止警告リスト」追加したと公表。 | ||
4月12日 | SECは、捜狐(SOHU)など中国企業12社を「上場廃止警告リスト」に追加したと公表した。 | ||
4月21日 | SECは、リーオート(LI)やチーフー(ZH)など中国企業17社を「上場廃止警告リスト」に追加したと公表。 | ||
5月4日 | SECは、JDドットコム(JD)やピン多多(PDD)、ビリビリ(BILI)を含む中国企業88社を「上場廃止警告リスト」に追加したと公表。 | ||
7月29日 | SECは、アリババ(BABA)を「上場廃止警告リスト」に追加したと公表。 | アリババは3月決算のため、その他の中国企業(ほとんどが12月決算)より通期決算報告書の提出が遅い。ただ、アリババが2022年3月期通期の決算報告書を提出したら他の企業と同様に「リスト入り」することは、想定内のことだった。 |
※Bloombergおよび各種資料をもとにSBI証券が作成
アリババは3月決算(ほとんどの中国企業は12月決算)で、通期決算報告書の提出が7月だったため、「リスト入り」が7月末となりました。ただし、決算報告書を提出したらアリババもその他の中国企業同様に「リスト入り」となることは、ある程度は想定内とも言えます。
米中交渉の状況と今後の見通し
中国ADRの上場廃止回避をめぐる米中交渉は、SECが「上場廃止警告リスト」第1弾を公表してから活発に行われました。しかし、現時点でまだ決定的な合意には至っていません。
米中交渉をめぐるニュースフローを確認してみると、中国当局は大半の中国企業に対する米当局による会計監査状況の監査を認める枠組みを策定し、企業によって監査へのアクセスを設定しようとしています。具体的には、慎重に扱うべきデータ(米国への情報流出を警戒)を保有するか否かによって企業を分類し、米当局の監査へのアクセスを決めようとしています。ただし、それに対して米当局は条件付きではなく、完全なアクセスが必要だと強調しています。
図表3 SECの「上場廃止警告リスト」公表と米中交渉のタイムライン
※Bloombergおよび各種資料をもとにSBI証券が作成
米当局は中国当局が猶予期間までに「完全なアクセス」を認めなければ、中国企業が2024年(※)に上場廃止になることを切り札に、中国当局に「完全なアクセス」を迫ります。一方、中国当局は交渉によってなるべく自国に有利な条件を引き出そうとしています。(※図表2にありますように、米国内では猶予期間を2023年までに短縮しようとする動きもあり、それが成立した場合は上場廃止が2023年になる可能性もあります。)
したがって、中国当局は猶予期間ギリギリまで、米国と交渉を続ける可能性があります。他方、米国への情報流出になり得る企業として中国当局が最も警戒していた滴滴出行(地図情報や走行データなどの重要情報を保有)が上場廃止になったことからすると、中国当局は最終的には米当局の完全なアクセスを認める可能性もありそうです。ただ、米当局のアクセスの実行において中国当局の関与など何らかの条件を付けることを米当局に求めるかもしれません。
今後のタイムスケジュールを確認してみると、猶予期間が切れるよりも先に、米中両国はともに重要な政治イベント(米国は今年に11月に中間選挙、中国は今年10月か11月に共産党大会)を控えています。イベント前は互いに弱腰姿勢を見せられないと想定されるため、米中交渉はイベント前よりもその後に進展がみられそうです。
株式市場への影響
中国ADRの上場廃止リスクが株式市場に与える影響については、ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数の動きで確認したいと思います。
なお、中国ADRの上場廃止リスクを受けた海外投資家の動きについては、2021年12/10付の「中国株ココがPOINT! 〜滴滴出行が上場廃止へ、中国ADRどうなる?!〜」の「今回のトピックス」部分で触れたように、「ADRのポジションを減らす」と「ADRを香港上場株に乗り換える」動きが共存している状況が続いています。
ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数の動きを確認してみると、2020年12月に米国で中国企業を念頭に置いた「外国企業説明責任法」が成立した際、株式市場への影響は限定的でした。2021年以降、ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数は大幅に調整しましたが、中国ADRの上場廃止リスクよりも中国当局によるネット大手への規制強化が主因でした。
図表4 ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数(2020年以降)
※Bloombergおよび各種資料をもとにSBI証券が作成
しかし、SECが2022年3月10日に「上場廃止警告リスト」第1弾を公表すると、ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数は急落しました。しかしながら、3月16日は中国当局による一連の支援表明で急反発しました。その後、3月から7月にかけてSECが100社以上の中国企業を「上場廃止警告リスト」に追加しましたが、ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数は第1弾リスト公表後に付けた最安値を下回ることはありませんでした。中国ADRの上場廃止回避に向け米中交渉が続いていることに加え、中国当局がネット大手への規制強化の早期終了や景気支援を表明したことが相場を下支えしました。
足元では、中国当局がGDP成長率目標は重要ではなく、成長率目標達成のために大規模な景気支援策を打ち出す意向はないと表明し、相場の重石となっています。これは大方のエコノミストやアナリスト(筆者含む)の予想に反するものとなり、アリババをはじめ中国株の調整に繋がりました。中国当局の真の意図は現時点で不明(過去の失敗からの教訓として地方政府による大規模な景気支援策をけん制する狙いの可能性もある)ですが、不動産問題やゼロコロナ政策による国内景気の弱さや世界景気減速懸念を考慮すると、中国当局は何らかの支援に迫られる可能性があると考えられます。
今年後半は中国ADRの上場廃止リスクもさることながら、中国の政策や経済動向がより重要になってくると考えられます。目先は間もなく始まる主要企業の決算発表や7月の経済指標の動向が注目されます。いずれも市場予想を大きく下回った場合は株価の押し下げ要因となり、上回った場合は見直し買いのきっかけとなりそうです。ナスダック・ゴールデン・ドラゴン中国指数の場合は、今年3月中旬からの上昇トレンドを維持できるかが注目ポイントと言えそうです。
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